自画像
僕の体験談について書かせていただきます。  まず、僕が体調の異変に気付いた時期は、18歳の夏ころです。 ふらっとする感覚があったと思っています。それで18歳の冬の終わりに母と病院に向かったことを今でも良く覚えています。その時、入院はしていないです。 病院関係者の人に家まで送ってもらったことをよく覚えています。その帰り道、曇り空の夕方、僕はこれから先、人生はどうなるかなぁとか色々と考えが混乱していました。  家に帰って、お医者さんから頂いた薬を飲みました。やはり抵抗はありましたが・・・。  病院で物にあたってしまったんで、ほんの軽傷ですが次の日、父と外科に行きました。その帰り道、「何とかしよう!何とかして自分を鍛えぬいてみよう!」と思いました。  不思議にその1週間後位から毎日、横須賀市による市民プールで水泳を1時間半25メートルをひたすらに泳ぎ続けました。プールまでは父と母にかわるがわる送ってもらったことも何気に覚えています。感謝しています。 昔から運動は好きだったので1年間ほど続けました。不思議とその時から通院にあまり抵抗感はなかったです。 初めに73㎏の体重が、体力がついたなと思う頃には53㎏になっていました。 今現在は、ひまなときは毎日軽いランニングをしています。  (病気になって)2年目はゆっくり休んだかというと祖父と祖母と春には桜を見に出かけたりしていました。昔を思い出したりしていろいろと心境に決心を軽く感じました。  どうしてもあきらめられないことや考えを大切にする事で、そこから道は・・・ つながると思っています。僕が20~21才くらいの時に主治医に相談してたことは なにかを学びたいということでした。そこで21才の時に専門学校に入学しました。  学校でいろいろと学んでいることがわかってくると、偶然と気が合う同年輩の人が現れたりしました。専門学校は2年間で卒業できました。主治医の先生もいろいろ話をしていましたが、卒業証書を持っていったら普通に喜んでくれたことを覚えています。専門学校で知り合った人と卒業後も花火大会に出かけたりしました。 (その友達は)不思議といろいろ気を使ってくれたのですが、後に知ったことですが 病を持っている人を知っているということでした。  今現在、僕自身体調が安定していますが、(その友達が)いろいろと気を使っていただきありがとうと言いたいです。  次によく休んで考えたことは、逗子の作業所に半年間通って、体調についてうまくコントロールをしていくことを目標にしました。作業所に通い、季節が夏を過ぎ 涼しくなる頃、ハローワークに通ってみたりもしました。  ハローワークの職員に自身の体調について話したら、主治医の意見書を持ってきてくれたら福祉枠ではなく、一般でやとってくれる企業に説明できるといわれ、いろいろありましたがある会社に採用していただきました。そこで3年半働きました。  僕がその時、思ったことは「何かにあこがれを持つ」ことかなと思っていました。 僕は好きな映画があります。感動した映画を挙げると、「ライフイズビューティフル」「マディソングンの橋」「戦火の勇気」「ベンジャミンバトン」とかです。体調をマイペースに保ちたいときは、映画を見ます。電気を消して、暗い部屋で見るのが僕自身には良くて気分がマイペースに保てます。 あとはサッカーが好きでレンタルDVDでよく借りています。  僕の趣味は、スケボーとサーフィンなどです。読書もしますが、集中力が途切れると日焼けをします。要するに太陽に当たっているということです。  魚釣りも昔から好きで、中学の時はよく同級生と海に出かけていました。 今は、釣り道具屋に仕掛けを買いに出かけ、工賃でルアーを買うのを楽しみにしています。そこでふっと思ったことは、仲良かったり、話したりしてた同級生と(今の自分を)比較してしまったりすることです。その時は、親から家族であったことの思い出を大事にしたりすることかな?と言われた時はうれしかったです。ささやかにほっとします。  話は変わりますが、金メダル、銀メダル、銅メダルとありますが、僕は銅メダルが好きです。目標を何かもつ時は、心の中では銅メダルを頭に想い描いています。 なぜこういう話になるかというと、小学校のころ野球少年だったんですが、部活の先生によく言われた言葉を僕自身大切にしています。  「諦めたくはないけど大切なことは前向きに考えて、なったらなったで銅メダル」 H・K
前ヘ戻る
inserted by FC2 system